1984年の西城秀樹について検証してみたいと思います。この年はチェッ

1984年の西城秀樹について検証してみたいと思います。この年はチェッカーズ、吉川晃司といったたのきん、シブがき後のアイドルも台頭。70年代からずっとトップアイドルでい続けた沢田研二が戦線から脱落。自身がリリ ースしたどん底、ノンポリシーの如く再出発の道を歩まざるを得なくなりました。
新御三家で83年に19時の街で紅白歌合戦復活出場した野口五郎も84年は落選。以降、紅白出場はありません。最終的に生き残った70年代世代アイドルは新御三家の西城秀樹と郷ひろみでした。しかし、この時期は圧倒的に郷ひろみ優勢でした。レコードセールス以上にメディアへの取り上げられ方、自己セールスに長けていたひろみの後塵を秀樹は拝しておりました。松田聖子との熱愛を上手に取り込む私生活切り売りの先駆けととして生き抜くスキルがこの時からありました。遠目で西城秀樹は損をしているなと思いながら輝いて見える郷ひろみを見て勝負あったなと。
2月に郷ひろみが自身の代表作となる
2億4千万の瞳エキゾチックジャパンを発売
。オリコン7位、ベストテン14位。
西城秀樹は地味なスタンダードカバーのドュ
ユーノウを発売するもオリコン30位。同時期に入院した事もあり殆どセールス出来ずに終わりました。作品としては良かったのに。
夏に郷ひろみがヤクシニー、西城秀樹が背中までILOVEyouを発売。どちらもオリコン30位くらいで痛み分けも郷ひろみが年頭に出した億千万のヒットが物をいっていました。当時
、ヒットスタジオで同じ背が高くて彗星のようにこの年にデビューした吉川晃司と一緒に出てモニカだったかを歌っている時に時代の移り変わりを感じていました。沢田研二は結果的にチェッカーズと吉川晃司(吉川はポスト沢田研二として渡辺プロが売り出した)によって流行歌手の引導を渡されたと思っています
。沢田研二ファンなのでそれは痛切に感じていました。
前置きが物凄く長くなりました。ここから本題に入ります。1984年10月。西城秀樹は
Wham!のカバー作品抱きしめてジルバを発売しました。恐らく彼にとってアイドルからアダルトな歌手に向かう勝負曲だったと思うのですが、当時のファンの人に聞きたいのはこの歌を聴いた時にヒットすると思いましたか
?私は正直、えらく地味な歌だなあと思いました。ドュユーノウの二の舞になるんじゃないかと。背中までILOVEyou聴いた時にもう売れなくても秀樹にはこの路線しかないんじゃないかみたいに思っていたので。実際、抱きしめてジルバのセールスの動きは鈍かったと思います。潮目が変わったのは郷ひろみ陣営が仕掛けた夜のヒットスタジオでの競作共演のコイントスだったのではないかと。ひろみも11月にどこまでアバンチュールのB面としてケアレスウイスパーを発売。夜ヒットで共演した秀樹と歌の順番をコイントスで決めるという事を行いました。当時言われたのが出来レースだったのじゃないかと。最初からひろみが後に歌う事は決まっていた。フジテレビ夜ヒットに強いひろみを優先させた。吉村真理さんも郷ひろみと田原俊彦を気に入っていたという側面もあるけど。一方、西城秀樹と近藤真彦はTBSザ.ベストテンに強かったように思います。黒柳徹子さんも二人には好感を持っていたし。そんな派閥みたいな中にあっての夜ヒットスタジオコイントス。同趣旨の質問は前にもしましたが、これを見てちょっとアザといんじゃないかと。私はジュリーファンで立場的には中立でした。正直言うと秀樹もひろみも嫌いではなかった。でもこれでは刺身の褄みたいにされた西城秀樹が気の毒だと。そんな思いで見ていました。秀樹がその日やった事はオーソドックスにお腹から声を出して歌っていた。その姿がユーザーの心に響いたのかは分からないけど以降、セールス的に抱きしめてジルバは延びて行きました。最終的にオリコン18位。郷ひろみのケアレスウイスパーの20位とさほど変わらずスマッシュに終わるもザ.ベストテンでは前年2月のギャランドゥ以来チャートインしたのです。それも年末ギリギリに。最高9位で年を挟んで85年第1週目もチャートインしたと思います。紅白歌合戦。西城秀樹は出場ギリギリだったそうです。最後まで争ったのが彗星のように現れた吉川晃司だったと。
セールス的は吉川晃司の圧勝だったと思います。しかし、ギリギリ生き残った感がこの年の西城秀樹にはありました。彼のファンがあの歌を聴いて彼を押し上げていた。根強い人気がありました。
哀愁のカサブランカ(アルバム)、ロマンス(
ギャランドゥのB面)と尽く郷ひろみのA面の美味しい所に持って行かれて最後に一矢報いたのが抱きしめてジルバだったと思います。
皆さんのこの歌に対する思いもお聞かせ下さい。
84年芸能人水泳大会で最優秀選手になって笑顔でVサイン良い笑顔でした。



言い訳をさせてもらうと、ちょうどこの頃、自分が新卒で就職し
いろいろ忙しくなって、ヒデキをリアルタイムで見れない時期でした。
今みたいに録画機能がついたものがあればよかったのですが、
当時我が家にはそれがなかったので・・・。
夜のヒットスタジオの郷ひろみとの競演も
後にYouTubeで見たくらいです。
その後に見た感想は
郷ひろみの「ケアレスウイスパー」の訳詞はずいぶん無理がある
曲調と合っていない
個人的に郷ひろみの声と歌い方が嫌いなので、全然良いと思えなくて・・・
まあ、ヒデキ圧勝みたいな・・・。
(若干、贔屓が入っています)
やっぱり、ヒデキの方が売れたのですね。
「抱きしめてジルバ」はCDで今でもよく車で聴いています。
ヒデキの激しさを抑えて、
歌と歌詞だけでひとつのドラマが完成されているように思えます。
ヒデキの声と曲も合っていて私は好きです。
私のCDは年代順に曲が流れているので、
その後、発売される曲も、激しさが無くなってきています。
たぶん、ファンのターゲットを
子供から大人にシフトしようとしていたのかもしれません。
それから、しばらくして発売された「走れ正直者」が
実はその後の世代に一番認知されてしまうという
皮肉な結果になってしまいましたが・・・
◆走れ正直者はあれはあれで凄いスマッシュではありましたね。殆ど忘れ去られていた時期に子供向けのアニメ主題歌として再生しました。西城さんサイドが手を回した物ではなくて作者のさくらももこさんがずっとファンで実現した企画だった。あの歌を西城さんは正直に誠実に歌っていた
。ブルースカイブルーや抱きしめてジルバと同じように。
どんな歌でもスタンスを変えないで歌う。それがあの人の凄い所です。オリコン20位。
チャートインは6年振り。94
年にヤングマンで紅白10年振りに復活出場果たしたけど91
年にあの歌で出ても良かったと思います。
ケアレスウイスパーはヘンリー浜口(郷ひろみ)作詞。どこかで秀樹を意識していたかなとあのパフォーマンスを見ながら思いました。僕に無い物を持っていたと告別式でも偲んでいました。抱きしめてジルバ。心に残るロングセラーです。
◆何をお答えすればよいのかが、はっきりしないのですが。
「抱きしめてジルバ」の曲の善し悪しでしょうか?
バリー・マニロウさんがFMラジオでこの曲を聴き、「ワム!」のオリジナルよりもフィーリングの良さに感銘を受けたそうですね。
その事がきっかけで、バリー・マニロウさんとのデュエット曲を1985年に発売し、11.2万枚を売上げ、(この曲が最後になりますが)オリコンのトップ10入りを果たしました。
【腕の中へ -In Search of Love-】(1985年11月21日)
以下の時期、西城秀樹さんと郷ひろみさんが楽曲のカバー対決をしていたのは、その通りだと思います。
79/2/21、西城さんが洋楽カバー「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」大ヒット
80/1/21、郷さんが邦楽カバー「セクシー・ユー」ヒット
80/12/21、西城さんが邦楽カバー「眠れぬ夜」ヒット
81/3/5、西城さんがフリオ・イグレシアスをアルバムでカバー「抱きしめて」
82/7/17、郷さんが洋楽カバー「哀愁のカサブランカ」大ヒット
82/11/21、郷さんがフリオ・イグレシアスをカバー「哀しみの黒い瞳」
83/3/21、西城さんがフリオ・イグレシアス「ロマンス」をB面でカバー
83/4/21、郷さんがフリオ・イグレシアス「ロマンス」をカバー
83/6/1、西城さんが洋楽ロックをカバー「ナイトゲーム」
84/2/25、郷さんが50枚目シングル「2億4千万の瞳」発売
84/10/15、西城さんがワム!「Careless Whisper」をカバー
84/11/10 郷さんがワム!「Careless Whisper」をB面でカバー
85/2/5、西城さんが50枚目シングル「一万光年の愛」発売
99/7/23、郷さんが洋楽ロックをカバー「GOLDFINGER’99」
ジュリー&新御三家の最盛期には、年毎に政権が交代して売上順位が変わりましたが、1984年の売上の差は、それほど無いように思われます。
年別のシングル・レコード総売上枚数(単位:万枚)
71年野口五郎_19.2>沢田研二_10.3
72年沢田研二_76.6>郷ひろみ_54.5>野口五郎_46.2>西城秀樹_19.8
73年郷ひろみ125.8>沢田研二113.2>西城秀樹_94.1>野口五郎_86.5
74年西城秀樹161.0>郷ひろみ129.5>沢田研二119.8>野口五郎103.0
75年野口五郎158.7>沢田研二152.8>西城秀樹121.7>郷ひろみ_93.7
76年野口五郎102.2>西城秀樹_90.3>郷ひろみ_87.7>沢田研二_55.8
77年沢田研二176.6>郷ひろみ116.3>野口五郎_94.0>西城秀樹_71.6
78年沢田研二172.9>西城秀樹_98.1>郷ひろみ_84.7>野口五郎_65.6
79年西城秀樹167.8>沢田研二_75.0>郷ひろみ_63.1>野口五郎_36.4
80年西城秀樹_89.6>郷ひろみ_83.2>沢田研二_65.4>野口五郎_22.7
81年沢田研二_74.2>西城秀樹_70.6>郷ひろみ_69.9>野口五郎__9.8
82年沢田研二_75.0>郷ひろみ_68.3>西城秀樹_62.1>野口五郎_14.4
83年郷ひろみ_60.2>沢田研二_31.2>西城秀樹_26.7>野口五郎_20.8
84年郷ひろみ_39.8>西城秀樹_23.0>沢田研二_20.4>野口五郎__3.1
85年西城秀樹_14.8>沢田研二__7.3>郷ひろみ__3.8>野口五郎__0.0
86年西城秀樹_14.3>沢田研二__3.7>野口五郎__0.5>郷ひろみ__0.0
上記の「年別のシングル・レコード総売上枚数」の合計です。
①沢田研二(1230.2万枚)
②西城秀樹(1125.5万枚)
③郷ひろみ(1080.5万枚)
④野口五郎(_783.1万枚)
◆洋楽のカバー曲というのは、日本語の歌詞で歌ってハマるかどうかです。
「ヤングマン」や「哀愁のカサブランカ」大ヒットしましたが、
ワムのカバーは両者共に中途半端な印象は否めないですね。
アダルト路線では「南十字星」の方が秀樹の良い所を生かせた名曲だと思います。
また、熱烈なファンは別として、一般世間は新しいモノを追いかけます。吉川晃司やチェッカーズなど爽やかで新たなアイドルの需要が増えてくれば、人気で視聴率をとりたいNHKが節操ない人気基準で紅白の選考をするのは昔も今も変わらずです。
◆長過ぎます。
デュワッ!!!


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