會館名・・・・・・・武道 真晶會館 (総勢40人前後)

館長名・・・・・・・竹内 晶     『晶(しょう)はハンドルネームです』

年齢・・・・・・・・・37歳

身長・体重・・・・160p・58s


血液型・・・・B型

出身地・・・・大分県別府市

・・・・生活のプロフェッショナル


        
趣味・・・・・・・・武術自主稽古・施術研究・解剖医学勉強・読書(漫画)・家庭菜園=「真晶會館 農園」・インターネット・ホームページ作成・
パソコン(有限会社 ジンワン製(http://jinwan.net/) HDD=320GB S-ATA2 7200rpm CPU=Core2DuoPro2.40(CPUFAN=有り) ベースモデル=JWY−P4 Duo2 2.4G マザーボード=Asus P5B ケース=450W・ミドルタワー RAM=DDR2 SDRAM 2GB LAN=10/100BASE-T モニター=RDT197S(19インチ) ビデオカード=GF PCX7600GS 256MB CD-ROM=DVD+−RW マウス&キーボード=Lx710 コードレス OS=WindowsXP・


活動地域・・・・・稽古は愛知県豊橋市内
施術往診歴は豊橋市・豊川市・渥美郡・静岡県浜松市・名古屋・四日市・和歌山県・大分県。
現在では豊橋近辺から出られ無い為、遠くても豊川市・渥美郡辺り迄往診して居ります。
東京都・兵庫県・福岡県・熊本県・静岡県・三重県・大分県・和歌山県等の遠方の方は現在ではワザワザ此方迄来られて居ります。
何時も御足労有り難う御座居ます。






 『真晶會館プロセス』


 小学低学年の頃、友達の影響で近くの剣道場が有り、其処で剣道を習う。剣道では中中強く成れず、小さかった私は仮面ライダーやウルトラマンに憧れ、兎に角、強く成りたかった。其処で近くに道場が有ると聞き行って見ました。見学では無く、しねぇ〜ッと(大分弁 こそっ〜っと)窓の隙間から見て、吃驚!何が何の様な情景で驚いたのか今は覚えて居ませんが、幼い私には凄く恐かったんだのだと思います。其の場から逃げ出しました(笑)。大分県別府市の上人ヶ浜町だったと思いますが、其処の少林寺拳法の道場でした。

 其の後、3回転校経て、最後のに落ち着いた小学校で初めて虐めに遭う。今でもそうですが、其の当時から身長が無く、「チビ!チビ!」と馬鹿にされ痛い目に遭いました。其の後、「強く成ってぶっ飛ばしたい!!!」と思う様に成り、本屋に出掛けました(笑)。其処で極真の大山先生の「わんぱく空手」と言う本に引かれ購入。其の本を参考に正拳の握り方や三戦立ちや手刀や騎馬立ち等をコツコツ練習して居ました。其の後、強く成ったと錯覚した私は、家の柱を思いっ切り叩いて見ました。痛くて手が腫れ上がり、其れ以来辞めて仕舞いました。此の本に、絵で瓦やレンガや自然石割りが描かれて居て、幼心に遣れると思ったんでしょうね(笑)。単純な私は思いっ切り遣って仕舞いました。大山先生を恨んで仕舞い「空手なんか大ッ嫌いだぁ〜」と叫んで居ました(笑)。何の縁か、今では其の道で生計を立てるとは想いもしませんでした。

 其れ以後も虐められて居る私は強く成りたかった。昔、週刊マンガで流行って居た「リングにかけろ」に憧れ、小学時代にボクシングを始めました。此は結構長続きました。自己練習の為、キックボクシングやボクシングの様な格闘技が好きだった親父とグローブを付け殴り合い、其の時に殴り合いの基盤が出来て来た様に思います。其の後、虐めた奴等をぶっ飛ばし、其奴らと仲良く成り世界が変わりました。其の仲間や新しい仲間と悪さばかりして居ました。悪さと言っても、虐めや人の物を盗んだり暴走族を遣ったりとは違い、例えば、朝帰りや人が迷惑掛から無い、別府鶴見山から湯布院や国道10号線等を高校生時代にオートバイで走り回ったり、多少のぶつかり合いのケンカをしたりと青春に日々を送って居りました。学生時代、今では内容は良く覚えて居りませんが、裁判や鑑別所らしい記憶も残って居り、ナンバーを書いた札を持って正面と横から写真を取って貰い、総て指の指紋を取られたり、今では「あの時何してそう成ったんだろう?」と本当に忘れて居ます。若気の至りです。私は手相・人相の占い師や色々な人に短命だと言われ、事故でも病気でも災難でも、何時、命を落としても可笑しく無いと言われました。良く生きて居ました。生きる事が大切だと近頃良く思います。
 高校迄の学生時代は剣道も行い、柔道も行いました。今でも記憶に残って居ますが、柔道ではあの嫌な先生にコッピドク遣られました。

 高校卒業後、豊橋市のホンダの下請け会社(やかん指導員が現在勤務)に就職し、ホンダ四輪車の足回り部品(冷鍛造・旋盤加工・焼き入れ)やカムシャフト(旋盤・研磨)や各種自動ライン等々色んな機械仕事を熟しました。其の後、サラリーマンが嫌だった私は5年前後働いた会社を辞め、知人と何人かで会社を造ると言う事で脱サラしました。でも夢は儚く散り、人間不信と成り、其の後、地獄の様な生活。此の儘では行け無いと思い、別府の親元に帰る。一ヶ月間自分の部屋で引き隠り、其の後、漸く動ける様に成り、親には言わず勝手に大阪方面に就職を決め、長男で有るが親から離れる。

 大阪の商品取引会社に就職するが、浪速の商人!御金!御金!の世界で、御客が破産しても、兎に角、会社の為自分の為に御金を集める。破産して「頼みます。御金を返して下さい。」と泣いて居る御客を余所見に「潰れる人を見ると楽しいなぁ〜」何て言って居る部長が居た。大阪の人が此の様な人ばかりとは思わ無いですが、私は物凄く腹立たしい想いがしました。其の爆発しそうな怒りを押さえれば押さえる程、又、内に入り込み陰(陰と陽)に傾いて行きました。そんな状況の中、武の道に出会いました。
 私には偉大な師が沢山居ます。此処迄来れたのも其の先生方の御陰です。こんな不良の私が、此処迄に成ったのは武の道の御陰です。

 真晶會館は派手さは全く無く、地味ですが、次成るステップの時を践んで居る最中です。
毎日、コツコツ精進です!宜しく御願い致します!

  

 真晶會館は、皆、生活を楽しく、私らしく、自分等らしく、コツコツ遣って居ります。
今、楽しく生きて居る事こそ最大の恩返しだと考えて日々精進して居ります。
 総ての人に、本当に感謝致して居ります。有り難う御座います。




syugyou



 



武道 真晶會館